社会的公正の追求は世界経済の安定にも資する

生活経済政策研究所所長・東京大学教授
大沢 真理

 今年が生活経済政策研究所の設立15周年であるとは、なんという歴史の符合でしょうか。この2011年3月11日の午後、文字通り1000年に1度の規模の東日本大震災が発生し、まもなく東北地方の太平洋岸を襲った巨大津波は、多くの人命も財産も呑み込んだだけでなく、現在も続く深刻な原子力発電所危機を引き起こしました。

 亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、すべての被災関係者に心よりお見舞い申し上げます。

 同時に、原発の事態はもとより、津波にかんしても、避けられたかもしれない被害が少なくなかったのではないか、という悔いを、強く感じざるをえません。同様の思いを、「100年に一度のツナミ」といわれた2008年の金融経済危機にたいしても、抱いてきました。これらの人災と天災によって撃たれたのは、第2次世界大戦以来の日本の経済開発モデルであり、それを軸とした社会のあり方や政治システムそのものです。「復興」とは、そうしたモデルの抜本的組み替えでなければならないでしょう。

 生活研が基本理念とする「民主主義の発展と社会的公正の尊重」、また着目する「効率と社会的公正の両立」、「生活と経済との相互関連性」・・・これらが、この国のガバナンスにより実現していたなら、金融経済危機や東日本大震災による被害は、これほど大きなものだったでしょうか。

 リーマン・ショック後の日本のGDPの落ち込みが、主要国のなかで最大だったことを、旧政権下で最後の経済財政報告は「衝撃的」と述べたものです。2000年代前半の日本の経済成長は、1部の品目の輸出に集中的に依存しており、その競争力は、低金利・円安とともに、雇用の非正規化をつうじて平均賃金を押し下げることに立脚していました。主要国で、1997年以来長期的に賃金が低下しているのは日本だけです。働く庶民の生活が潤うことはなく、景気拡張期にも貧困率は上昇しました。国内市場のふところが浅くなってしまった日本経済は、リーマン・ショックのツナミにとりわけ脆かったのです。

 その落ち込みから回復しないまま、日本は東日本大震災に打ちのめされました。震災と津波は自然現象だったとはいえ、被害を受けた地形は人工的なものでした。20世紀の、とくに後半に、山を削り、谷・水田・湿地を埋め立てて作られた土地とまちが、打撃を受けました。恐ろしい津波から九死に一生を得た人々を、長期間苦しめている流通の滞りやミスマッチは、ローカル鉄道網やバス路線の衰退、1980年代以降に形成されたツリー型でゼロ在庫のサプライチェーンなどと関連していないでしょうか。

 日本の経済規模が世界有数となってからも、成長を輸出に依存する構造から脱却しないどころか、1990年代末からその構造を強めたことが、中国などの貿易黒字とともに、米国の天文学的な経常収支赤字と裏腹のグローバル・インバランスを生じさせ、金融経済危機を招きました。原発事故を収束させることと並んで、庶民が豊かさを実感できる公正でふところの深い国内市場をつくることは、日本が世界にたいして負う責務といっても過言ではありません。そこに生活研の役割もあると考えます。