経団連に「愛国心」はあるのか
村上信一郎(神戸市外国語大学教授)
先月号の特集「企業が正義と調和できるために」で思い出したのだが、ダニエル・ベルの1960年の著作『イデオロギーの終焉』には日本語版では割愛された「アメリカ的生活様式としての犯罪」という章があるのをご存知であろうか。独立宣言の建前は美しいが、弱肉強食と人種差別の成金国家に辿り着いた新参者の移民が手っ取り早く見出した社会的上昇の手段が犯罪だったというのである。ギャングといえども実力と才覚がものをいう。だが血まみれの抗争を経て財を成したボスには政治家が群がるようになり、もはやその犯罪が咎められるようなこともなくなってしまう。その過去は金で浄化されたのである。
ひるがえって今の日本はどうか。かつて消費者金融は高利貸し、人材派遣は口入れ屋と呼ばれヤクザの「しのぎ」とされてきた。少なくともカタギの仕事ではなかった。だがそうしたビジネスは今や正業とされ、その創業者が財界で要職を占めるまでとなっている。金にはきれいも汚いもない。つぶれないのはさおだけ屋だけではない。暴力団も健在だ。
新自由主義が唱える規制緩和とは、政治的ロビイング(すなわち金の圧力)により、合法と非合法の境界線が、いともかんたんに動かせるということを意味する。日本経団連は6月29日に2007年度「規制改革要望」を政府に提出した。なかでも注目すべきは労働者派遣法で最長3年と定められた派遣期間制限の撤廃要求である。また世間の非難を浴びた偽装請負に反省するどころか、その合法化すら要求している。反社会的な搾取の合法化を求める一方で、CSR(企業の社会的責任)を唱える二枚舌に気づいてさえいない。
経団連の『希望の国、日本―ビジョン2007』は、安部首相の『美しい国へ』にも優るとも劣らないブラックユーモアの傑作だ。偽装請負で前途有為な若者を奴隷のように酷使しながら、日本の子どもたちの瞳に輝きを取り戻したいという。だがこんなふうに人権を無視しても平気な財界人には「公徳心の涵養」を語る資格などない。今日ほど経団連が国民の利益に背を向けた時代はないと思われる。「戦後レジームからの脱却」を唱える人々が大好きな戦前の言葉を借用するならば、彼らこそが「非国民」ではないだろうか。
(生活経済政策2007年8月号掲載)