ニュー・レーバーの歴史的総括を
岡 眞人(横浜市立大学国際総合科学研究院教授)
英国統一地方選(イングランドとウエールズ、5月1日)において労働党は331議席減、得票率24%で3位に転落するという大敗を喫した。敗因としては、サブプライムローン問題に端を発する国際金融危機や原油高騰が英国経済に悪影響を及ぼし、食料・燃料価格の上昇が家計を直撃するという客観情勢の厳しさに加えて、低所得者に不利な税制導入とその後の不手際によって国民の信頼を失ったことが指摘されている。堅実な経済運営を評価されてきたブラウン首相にとっては不信任に近い結果であり、次期総選挙での政権交代の可能性が高まっている。ブレア、ブラウンらが推進してきた「ニュー・レーバー」路線の歴史的総括を行うべき時が近づいているようだ。
「ニュー・レーバー」路線には、サッチャー改革の継承の側面と、その中道左派的修正の側面がある。継承面とは、サッチャー登場以前における党派を超えた暗黙の合意といわれた「混合経済・福祉国家」路線に復帰することなく、基本的に市場経済メカニズムに依拠する経済政策を継続したことである。また、サッチャー時代に制定された労働法制の骨格を踏襲し、経済成長に資する安定した労使関係の維持が重視された。
他方で、サッチャー改革の中道左派的修正とは、新自由主義的改革の結果引き起こされた失業、貧困、社会的・地域的な格差拡大などの負の遺産に対して、社会的公正と連帯の理念に基づく癒しの施策を展開したことである。最低賃金制度の導入はその象徴であった。また「ニューディール」と呼ばれる雇用政策においては、就業能力の向上に向けた労働者の自助努力と公的なきめ細かい自立支援施策との結合によって対処するという新しい手法が実践された。さらに、サッチャーが廃止した大都市自治体の復活、スコットランドやウエールズへの自治権の拡大による分権化が推進された。
外交面では米国との同盟関係を機軸にすえる点ではサッチャー、ブレアの両政権は一貫していたが、EUとの関係ではブレア政権時代に大幅な改善がみられた。さらに経済のグローバリゼーションが急速に進む中でロシア、インド、中国などからの巨額投資を飲み込む世界の金融センターとしてロンドンを復位させる戦略がブレア政権の下で強力に推進された。この30年間に英国は危篤状態の病人から、世界の政治経済の中心的存在へと鮮やかな復活を遂げた。サッチャー時代とブレア時代は「英国病」からの脱出劇の前編・後編として位置づけることができよう。「日本病」からの脱出劇の前編は小泉改革であった。後編の魅力的なシナリオが一日も早く国民に提示されることを期待したい。
(生活経済政策2008年7月号掲載)