生活経営の新たな展開
堀越栄子(日本女子大学家政学部教授)
生活には人間的な全体性がある。生命の営みも生計の営みも人生も含めて生活は成りたっている。ところが、生活の拠点であり、人間的なものを育む場であるはずの家庭や社会が危ない。競争原理よりも、助け合いながら共存・共生する原理が土台にあるはずなのに、競争万能社会にさらされて人々は孤立し、時には修羅場の様相を呈している。また、生活には実現すべき「生活の基本的価値」がある。しかしながら「生活の自己責任」などという言葉で競争に追い立てられ、その競争にはいじめや社会的排除など、人間にとって、自分の生存を脅かす侮辱がついて回り、安心・安全や、信頼できる人間関係を育む基盤が掘り崩されている。
人間の生活にとって言葉が重要な意味を持つが、こころの仕組みと言葉の関係をみると、人間は自分の生存を脅かす侮辱に激しい怒りや恨みを抱くことが本能としてプログラミングされているという(スティーブン・ピンカー)。また人類学によると、言葉の80%以上は「毛繕い」であるということであり、言葉による比較や差別が、とくに思春期の脳の故障に影響があることもわかっている。
競争に追い立てられる強迫観念と不安は、人びとの人間性を失わせ、刹那的な判断に走らせ、お互いに助け合う社会の共同部分を壊していく。小規模化する家族、高齢化、国際化、情報化、気候変動などによる生活課題に対応するためには、いまこそ、個々の生活行為や集団の活動が、社会とつながり開かれることによって社会資源を形成し生活環境を豊かにし、生活の価値、文化、仕組みを創ってゆくことが重要であるにもかかわらず。
そこで、あらたな生活経営(Family Resource Management)には、個人や家族の生活に社会資源を取り込むだけでなく、「個人・家族と社会をつなぐ」「公と私をつなぐ」ことを推進する支援職や中間団体の活動の展開を、新しい社会構想の重要な柱として掲げ実現することが不可欠だ。生活を豊かにしたい、社会の役にたちたい、依存(助け合い)と共にある自立をエンパワメントする社会をつくりたい、公平、公正な社会で幸せになりたいと、さまざまなテーマで市民団体・NPOが活動を続けている。そうした生活や社会の価値を高める活動の推進、そして個別の生活と活動の結合をはかりたい。
(生活経済政策2008年10月号掲載)