脱成長・社会発展と連帯経済
西川 潤(早稲田大学名誉教授)
アメリカ発のサブプライム・ローン危機が世界に拡大するに及んで、従来の野放図な多国籍企業投資・市場経済拡大を軸とした経済グローバリゼーションは転機に立たされた。いまの問題は、ここ20数年、世界経済の軸となってきた新自由主義に代わって、いかなる経済学がポスト・グローバリゼーションの時代の指針となるか、ということである。
2008年11月中旬に開かれたG20の金融サミットで見られたような伝統的なマクロ経済(財政金融)政策への回帰は、すぐに新たな財政赤字拡大の問題にぶつかるだろう。ケインズ型の混合経済政策は既に時代遅れとなっている。
こうした時点にあたって、欧米で、新しい経済思考の潮流が湧き起こっていることに注目したい。それは「脱成長」(décroisssance, disgrowth)学派の出現である。
2000年代に入って、市民社会の興隆を背景として出現した連帯経済の思考は、グローバル規模での「市場の失敗」に対抗するために、非営利、公正、地域協同に基く実践を提唱した(西川・生活経済政策研編『連帯経済』明石書店、2007年)。連帯経済は同時に政府セクター、民間企業セクターに提言を行うことによって、グローバリゼーションの失敗を是正する手段を提起した。
脱成長学派は、連帯経済の実践に支えられつつ、無限の経済成長を社会のパラダイムとする伝統的経済学を拒否する。営利・資本蓄積を社会の動因とするのではなく、人びとの価値観の転換を通じて、自律・共生の社会関係を身の回りから(近隣経済)つくり上げることをめざす。連帯経済が今の資本主義を前提としてその変容を目指すのに対して、個人の価値観の変化と社会発展により、「等身大の世界」(玉野井芳郎)実現を考える。グローバリゼーションの危機に際し、この思考は急速に人びとの関心を引き、フランスでは学会、月刊新聞、季刊学術誌が発刊され、地方政党も出現している。
アメリカでは、ワシントンDCの民主党系シンクタンク政策研究所が2004年に公刊した『ポスト・グローバリゼーション社会の可能性』(邦訳、緑風出版)が、マクロ的な資本主義ガバナンスの変革を訴えていたが、最近では、ケア経済学の側から、従来当然とされてきた物質的富の概念を、人間関係の変化を通じて生き甲斐の豊かさに変えることにより、現代社会の行き詰まりを打破しようとする試み(R.Eisler, The Real Wealth of Nations, 2007)も現れている。
オルタナティブ経済学が理論レベルで更に展開していることは心強い限りである。
(生活経済政策2009年2月号掲載)