新自由主義経済政策の破綻と教育
中村 讓(日本教職員組合委員長・生活研理事)
新自由主義経済政策が世界的に破綻した。新自由主義は「競争と効率と成果」を第一価値としている。禁欲を美徳とするピューリタニズムが内包されていないこの資本主義的価値観は、規制が緩和されるやいなや暴走し、社会の全てを市場化しようとした。まさしく「聖域なき構造改革」として、それは社会的合意とケアを必要とする医療、年金、介護などの福祉、そして教育にまで及んだ。結果、社会的セーフティネットである公共サービスが弱体化し、今日、社会問題化した「貧困と格差」はこうして生まれた。
実体経済から遊離した虚構のマネーゲームの破綻から私が考えさせられるのは、二つのことである。一つはハゲタカを飛ばしていたのは世界各国の有名大学、例えばオックスフォード大、ケンブリッジ大、マサチューセッツ工科大学、ハーバード大学などの修士課程や博士課程修了という最優秀な学歴を持ち、さらにハーバード大学のMBA(経営学修士)の資格を持った者たちの集まりだったことである。ハーバード大学は東海岸の名門大学であり神学に基礎を置いて開校したというのもなんとも皮肉な話だが、偏差値信仰の強い日本の「学歴と教育」のあり方として考えさせられる。
もう一つは、想像力の問題である。如何にして利益をあげるかに持てる能力を全開させ、実体経済との乖離、実際の人々の生活に思いを馳せなかったのか、気づきはあっても無視したのか。確率2分の1で失敗した場合にどのような事態を引き起こすか、そうした想像力はなかったのか、あったのかという問題である。高い給与が保障され、エリート意識をくすぐられ、競争に煽られれば自社の利益以外は見えなくなったのか。
学歴を第一とする「古い成功モデル」に代わる「新しい成功モデル」は、人間の息遣いが分かる生活観を内包させたものであって欲しい。経国済民--国を治め人民の生活苦を救うことが経済である。その政策と仕事に携わる者には「自己責任」ばかりではなく、社会的責任も意識してもらいたい。
(生活経済政策2009年4月号掲載)