裁判員制度は日本の刑事司法を蘇らせるか?
若穂井 透(日本社会事業大学教授・生活研顧問弁護士)
私は1970年(昭和45年)に大学を卒業した。
大学紛争のなかで青春を謳歌し、1973年(昭和48年)に刑事弁護に憧れて弁護士になった。
しかしそれから35年以上が経過し、私は多くの刑事裁判で無罪を争ってきたが、無罪判決はたった一つしか得ていない。
私はまた刑事裁判の延長上で多くの少年の冤罪事件にも関与してきたが、著名な事件のなかで無罪を晴らすことができたのは綾瀬母子強盗殺人事件の一つしかない。
最高裁判所で少年事件の再審がはじめて開始されたみどりちゃん事件、民事事件の一審で無実が認められた山形明倫中事件など、無実が明らかにされたかのような瞬間が一瞬、陽炎のように見えたことはあるが、いずれも最終的には有罪とされ無念の涙にくれた事件がほとんどである。
「特集・本当に推定無罪か」(サンデープロジェクト、2008年4月6日、4月13日放映)には、日本の刑事裁判における「有罪裁判官」(木谷元最高裁調査官のコメント)による「推定有罪」の実態が生々しく抉り出されている。
しかしそのような刑事裁判に、漸く「裁判員制度」が導入された。国民が裁判員として参加することによって、かつて平野教授(東京大学、刑事訴訟法)が「絶望的」と嘆いた刑事裁判は大きく変化すると期待され、そのように喧伝されている。
だが私はそのように楽観できない。
国民が形式的に裁判員として刑事裁判に参加しようと、「三種の神器」の一つである「八咫の鏡」を形どったバッジ(中央に「裁」という文字が彫られている)をつけた「有罪裁判官」が主導する「推定有罪」の刑事裁判は、むしろ「裁判員制度」のもとで次々と冤罪を生み出して行くのではないかと危惧する。
足利事件の再審開始は、裁判員制度の前途を象徴している。
刑事弁護は今後とも受難の時代が続くであろう。
(生活経済政策2009年8月号掲載)