輝く目をしたYさんのこと
木村陽子((財)自治体国際化協会 理事長)
軍事政権下にあるミャンマー出身のYさんと初めて会ったのは、昨年の8月栃木県那須塩原市にあるアジア学院に1泊2日の農業ボランティアに行った時である。アジア学院は毎年、アジア・アフリカ諸国から少数民族等のコミュニティリーダーを30人ほど招聘し、有機農業や地域づくりの研修をしている民間の学校である。
アジア学院での農作業の合間に、日本滞在4年目になるYさんは思慮深く、かつ、きらきら光る眼で私達に語った。「再来年ぐらいにミャンマーに帰るつもりです。せっかく日本に来ることができたのにお前は馬鹿だ、とか友人達に言われるが、僕は故郷の人たちを愛している。ミャンマーに帰って故郷の地域開発に貢献したい」。
30代のYさんはミャンマーの最高学府を出たが、日本では居酒屋の厨房でアルバイトとして働いていた。今年の1月、Yさんが暗い顔で言った。「あと2週間ほどで居酒屋から解雇される。どんな仕事でもよい。何かないだろうか」と。
Yさんの依頼を受けいろいろ手を尽くしたが、不思議と思うぐらい仕事が見つからなかった。ある時から、Yさんは仕事がみつからないことをそれほど深刻に受け止めていないことに私は気付いた。まるで、「仕事がみつからなければ、それは、神が自分をミャンマーにもどしたいという御意志のあらわれだ」、ととらえているようであった。
結局、彼が決めていた期限までに仕事が見つからなかった。Yさんは帰国を決意し、同時に故郷の地域開発案を書いたレポートを私に送ってくれた。
現在、彼は無事に帰国し、最近のメールには、元気であることと、たまに停電することが書かれていた。ミャンマーでのYさんの地域開発事業は簡単には進まないかもしれないが、彼の志に心打たれた日本の友人達がおりにふれて彼を支援することになるだろう。
「彼は貧しく厳しい環境に自らもどったけれど、彼には希望がある。それが僕にはうらやましい」と60代の友人が私に言った。彼の希望は私達の希望でもある。がんばれ、Yさん!
(生活経済政策2010年6月号掲載)