知識基盤社会の大学
長谷川 眞理子(総合研究大学院大学教授)
あらためて、大学の使命は何だろう? 大学とは、高等教育の場、研究の場であり、人類の知の蓄積をさらに発展させ、次の世代に継承していく場である。
大学生はなぜ若者なのか? それは、基礎教育を終えており、しかも、まだ思考が柔らかく、さまざまな知識を吸収して記憶する力も意欲も高いからだろう。とくに、研究者を養成するというエリート教育の観点からすれば、優秀な若い人を集めるのは大事なことだ。昔の大学は、そういう場所だった。
しかし、今はそれだけではない。もちろん、人類の知をさらに発展させられる優秀な人材を育てる使命もあるが、知の成果を社会に伝え、なるべく多くの人々に共有してもらうという使命もある。それが、知識基盤社会と言われるものだ。そうだとすると、対象は若者だけとは限らない。
今、大学進学率が47%になり、しかも18歳人口の減少に伴って、今後は、もっと社会人に門戸を開いていかねばならないと言われている。こういう議論は、しかし、場当たり的で、大学経営の採算の面から人集めをどうしようという発想に聞こえる。そうではなくて、社会全体における高等教育の意味、国民全体の知の向上という意味で、今後の大学のあり方を考えるべきだろう。それは、大学だけではなく、働き方、人々の人生設計の問題でもある。
欧米諸国では、大学入学者における25歳以上の人の割合が、およそ15〜20%である。大学生の5人に1人ぐらいが、高校卒業したての若者ではないということだ。お隣の韓国でも10%である。つまり、人生の歩み方にはいろいろあり、一度仕事についてから、子育てを終わってからなどなど、高等教育を受ける機会は、人生のどの段階にも開かれている。
他方、日本でのこの数字は、たったの1.8%だ。日本では、「お受験」勉強の果てに大学に入り、卒業して就職したら、あとは二度と学問の世界には戻らないということか。これは寂しい。しかし、これを変えようとすると、大学の入試のあり方も、授業形態も変えねばならない。そして、企業の雇用の仕方や働き方も変えねばならないだろう。そろそろ、本気で変える時なのではないか。
(生活経済政策2010年11月号掲載)