東日本大震災と「互酬」の経済
山田鋭夫(九州産業大学経済学部教授)
大震災から半年が過ぎた。被災地の「復興」が本格的に語られはじめた昨今であるが、この間、人間社会ないし経済社会の成り立ちについて、つくづくと考えさせられている。
震災発生直後の義援金の呼びかけや、救援隊・ボランティアの活動に始まり、被災者の生活と心を支えるべき共同体や助け合い・支え合い・分かち合いの大切さが語られ、連帯や共生への思いが噴出している。それらすべては「絆(きずな)」の一語に集約されていよう。阪神大震災の被災者からは「あの時の恩返しに」との申し出もある。
被災地はもちろん、日本中が金銭勘定や自己責任とやらを脇に追いやって、人と人のつながりに目覚め、「私も役に立ちたい」との思いを強くした。市場経済や交換経済のなかで生きていたはずの日本人が、突如、贈与と互酬の経済に復帰したかの感がある。いや、そう言うのは正しくない。普段、市場経済という表層に覆われて気がつかなかった―が、現代も脈々と生きている―互酬・互恵・互助の経済が、危機に際して表舞台に出てきたのだ。そして重要な点は、いざという時には交換原理でなく互酬原理こそが経済社会を救いもするし、支えもするのだということである。
交換原理が支配する現代社会では、危急の際、各人が身を守るのは「自助」であり、そのため各人は営々と貯蓄に励み、致富をめざす。頼りは金のみだ。そう思われている。これに対して互酬の経済社会では、いざというときモノをいうのは貯えでなく、援助のネットワークつまり「互助」「共助」である。津波ですべて流失したあと、被災者にとっていちばん心強かったのは「金」ではなく「絆」であった。
このとき、互酬は昔のことで現代社会は交換だということではない。互酬と交換は発展段階の相違でなく、あらゆる社会で並立している二つの経済原理なのである。だから現代の交換経済の奥底にも互酬が息づいているし、そうでなければならない。のみならず「絆」という信頼関係に支えられてこそ、実は市場経済という表層もうまく機能する。私たちは大震災からそれを教えられたし、そういう日本経済に向かって「復興」したいものである。
(生活経済政策2011年10月号掲載)