消費増税を決めたからには
諸富徹(京都大学大学院経済学研究科教授)
消費税を2014年4月に8%、15年10月に10%とする消費増税関連法案が可決、成立した。日本では、消費税導入やその税率引き上げの際に、税制論議がもっとも盛り上がる。しかしその視点は圧倒的に、「取られる側」の視点である。
租税といえば、「権力者による苛斂誅求」のイメージが強い。しかし市民社会初期には、ホッブズやロックにみられるように、租税は国家が市民の生命・財産を保全する対価として、市民社会が自発的に負担するものだとする「自発的納税倫理」が形成された。その代り政府が、市民社会の負託に応えないならば、それを取り替えてよいという「革命権」が市民社会の側には留保された。実際、租税問題はイギリス革命、フランス革命、そしてアメリカ独立の発端となった。現代ではそれは、選挙を通じた政権交代という形で合法的に行われるようになっている。
だとすれば、租税の中身を決定するイニシアティブは本来、市民社会の側にあるはずだ。租税はわれわれにとって「取られるもの」、「できれば払いたくない負担」と捉えられがちだが、低成長下の福祉国家を、低負担で賄えないことは明らかである。だとすれば、租税を「どのように負担すべきか」という形で問題を前向きに捉え直し、その中身に踏み込んで議論すべきであろう。
19世紀後半から20世紀初頭にかけてのアメリカでは、産業保護の観点から高率関税の維持を求める北東部資本家・共和党に対して、関税撤廃と所得税導入を求める南部・西部の農民、労働者、中小企業者が、民主党を通じて果敢に闘った。高関税は彼らにとって生産費の上昇を引き起こし、ひいては生活困難を引き起こす。また、税負担が「支払い能力」に応じて配分されておらず、産業・金融資本家が負担を免れているのは不公平だと彼らは怒っていた。そしてついに1913年、民主党のウィルソン政権に交代することで、彼らは所得税導入に成功する。彼らが、単純に税負担を免れたいという発想からではなく、より公平な税制を求めて闘った点に注目すべきである。
21世紀の今日、日本は逆進的な消費税を福祉国家の中核に据えることに決めたからこそ、改めて所得税、相続税、法人税を含めた税制全体で、公平な負担のあり方を見出していくべきである。
(生活経済政策2013年1月号掲載)