懐かしい未来
神野直彦(東京大学名誉教授)
翌朝はいつもであれば小鳥のさえずりで目を覚ますのに、その朝は深深としていた。カーテンを開くと大雪である。外に出ようにも、短靴ではとても無理である。外出を諦め、雪景色を観賞しながら、買い求めた西瓜を味わう「雪見西瓜」と洒落ることになってしまった。
何かが狂い始めた。「雪見西瓜」などは、人間が正気だった懐かしい時代にはありえなかった。
人間は気候変動に支配され、食糧を求めて彷徨する採集狩猟経済から脱しようとして、農業経済を創り出したはずである。ところが、人間は愚かにも、自ら制御不能な気候変動を創り出し、自らの生存を否定しようとしているかの如くである。
このまま異常な気候変動を創り出し続ければ、人間の未来は失われてしまう。それは誰にもわかっているし、失われた未来を取り戻す方法も誰にもわかっている。
それは教皇ヨハネ・パウロ二世が回勅『レールム・ノヴァルム』で唱えているように、二つの環境破壊を止めることである。もちろん、一つの環境破壊は自然環境の非理性的な環境破壊である。もう一つは、より深刻な人的環境の破壊である。
人間はホモ・サピエンスつまり「知恵のある人」である。しかし、この知恵は人間と自然の生命を擁護するために使用されなければならない。気候変動を創り出すように、人間と自然の生命を破壊するために使用してはならないはずである。
失われた未来を取り戻すためには、人間は英知を傾けて自然環境と人的環境を再生させなければならない。
そうすれば緑の織り成す木陰と、人間と人間とが織り成す木陰のもとで、子供達はすくすくと育ってきた、あの懐かしい時代に回帰することができる。未来は懐かしい未来にならなければ失われた未来になってしまうだろう。
(生活経済政策2013年7月号掲載)