「見えない労働」をなめてきたツケ
竹信 三恵子(ジャーナリスト・和光大学教授)
3月中旬、ネットを通じて預かった男の子が亡くなったのに、その遺体をベビーシッターが放置していた事件が報じられた。働く女性が増える中で「保育制度が時代に追いつかない」(3月19日付『朝日新聞』)といった論調が目立った。だが、こうした事態はいまに始まったことではない。
1960年代には「ポストの数ほど保育所を」運動が起き、80年代は劣悪なベビーホテルへの告発が高まった。アグネス・チャンさんの「子連れ出勤」をめぐる「アグネス論争」も、子育て支援の貧弱さが背景にあった。女性の労働力をめいっぱい利用しながら女性が抱える育児や介護、家事労働には目をつぶり、公的支援がさぼられ続けてきたことを、これらの動きは示している。
女性が働くには、女性が担ってきた再生産労働の処理が不可欠だ。1960年代の好景気で女性の労働力を必要としたスウェーデンでは、税金を投入して保育・介護施設を整備した。オランダは、1970年代後半からの産業空洞化で男性の失業が膨れ上がり、女性が働き始めた。だが、専業主婦が多かった社会では保育所が足りなかったため、パートでしか働けない女性の均等待遇によって、その働きがいを確保した。
少子化と、男性雇用の不安定化が進む日本でも、ようやく「待機児童40万人解消策」が掲げられた。だが、保育所基準の引き下げによる数の確保が先行し、質とのバランス論議は遅れがちだ。ベビーシッター事件も、そんな中で起きた。
こうした家事的労働の軽視・蔑視・排除について、昨秋、『家事労働ハラスメント』と題する新書を出版した。子育てや家事を担う働き手への嫌がらせが招いた少子化。再生産労働の時間を考慮しない労働時間設計による過労死。「見えない労働」をなめてきたツケが、いかに私たちの社会を浸食しているかを追った本だ。救われたのは、男性の反応の多さだった。「こわごわ読んでみたら目からウロコだった」という声は、「女の問題」と片付けられてきた見えない労働が、ようやく社会の問題となる兆しを予感させた。
労働時間、福祉などの社会政策のすべてに、「家庭内の見えない労働」を組み込むこと。そこに、構造転換を迎えた私たちの原点がある。
(生活経済政策2014年4月号掲載)