強い立場と弱い立場
井内 啓二(NHK労連事務局長)
今年の3月に大腸癌の摘出手術をおこなった。実はこの10年間で3回入院しており、いずれも癌であった。今では患者への告知は当たり前になってきているが、患者に癌告知するべきかどうか侃々諤々の議論がなされた時期もあった。癌であることを発表する有名人も増えてきた。私の場合、10年前も今回も実にあっさりと告知され、治療方法も事務的に淡々と説明された。そのうえセカンドオピニオンを取得することも奨励された。そのせいもあって私は確固たる死生観もないのに医者の告知を動揺することなく聞くことができた。こうした様変わりの背景には明らかに医学の進歩がある。ただその時、治療に対する些かの戸惑いも見せない医者と、自ら克服する術を持たない患者という、強い立場と弱い立場の違いは自覚させられた。けれども両者の関係は一方的ではなく相互的なもので、強い立場にある医者が治癒に向けて果たすべき責任と行動を実直に示してくれたことで私は医者を信頼することができた。
メディアと市民の関係も強い立場と弱い立場にある。
「知る権利」に奉仕するためにメディアは市民に発信する。どうしても多様な情報や伝達手段をもつ送り手側のメディアが優位になり、受け手側の市民が弱い立場になってしまう。そのことをメディアが失念すると、傲慢になり独善に陥ってしまう。したがってメディアは市民からの厳しい批判をしっかりと受け止める姿勢を持ち続けなければならない。一方の受け手側の市民にもメディアリテラシーは求められる。受け手の読み解く能力が高まれば、送り手の意識も高まり、関係が一方的なものから相互的なものに変わってくるだろう。
ただし、このような健全な相互的関係においても過ちは起こる。時に日本の公権力はメディアに落ち度があればここぞとばかりに介入してくる。だから送り手は、自浄作用が働く自主自律の体制でもって謙虚に事実に向き合うべきである。そして、権力的な規制を導入すれば報道の自由そのものの否定につながり、民主主義が崩壊することを市民に対して送り手がしっかりと伝えなければいけない。
(生活経済政策2014年11月号掲載)