「協同」に共感する若者の育成を「協同」の力で
志波 早苗【日本協同組合学会副会長・パルシステム生活協同組合連合会】
年越し派遣村から7年が経過したが、貧困解決に向けた取り組みは進展したのだろうか。メディア報道も増え、子どもの貧困対策の推進に関する法律と生活困窮者自立支援法などの法整備も進んだ。しかし、「くらしの相談」を受ける現場にいると貧困はより見えにくくなったように思えてならない。生活困窮者は家族、地縁、社会的な資源を持っていないか、排除されているため、孤立していることが多く、それによって貧困にも陥る。そうした人々が肩を寄せ合って生きている空間が都市整備などを理由に町の中心部の見えるところから、周辺の見えないところへ追いやられる。自己責任論は根強く、貧困に苦しむ人々自身も助けをうまく求めることができずに母子で餓死、子殺しなど悲惨な事件が後を絶たない。
私は反貧困ネットワークの会員でもあり、かつ大学で話すことも多いので、大学まで進学できる学生と、同じ年代で家庭の事情などで中卒を余儀なくされ、学びたいのに学べない若者との両方に接する。こうした若者の育成環境からくる置かれた立場の優位・不利、そこからくるモノの見方、考え方の違い、くらしている空間の「乖離」を痛感する。未来ある若者だけでなく、社会的な資源を豊かに持っている高齢者と持っていない高齢者も同様である。しばしば貧困は人心を荒廃させる。弱者同志でせめぎ合ったり、自分には関係のないこととして無視をしたり、貧困に陥らないため過度に適応しようとして心身も壊す。
社会的に困難を抱えている人が生きやすい社会ほど誰でもくらしやすい社会、困難を包摂することで今は困難でない自分自身も包摂されるという社会的包摂の考えをどう社会に広げていくのか。協同を価値とした協同組織の試される時代は今である。
(生活経済政策2015年7月号掲載)