「非正規」という働き方と「職場的排除」
杉浦 浩美【埼玉学園大学大学院専任講師】
衆議院を通過した「労働者派遣法見直し法案」の審議が、参議院で始まっている。この法案によって、正社員が派遣に置き換えられる「常用代替」がさらにすすむのではないかと、懸念されている。現時点でも、現場からは、悲痛な声が寄せられている。これまで、制限期間の枠外とされてきた専門26業務に勤務していた女性たちが、法案が成立していないにもかかわらず、契約打ち切りの通告をされているというのだ。「いつか正社員に」と願いながら、長年、同じ職場で働き続けてきた女性たちにとって、それは二重の裏切り行為だろう。
派遣ではないが、私も非常勤職として働いた経験をもっている。大学卒業後から正社員として長年勤めた会社を辞めて大学院に進学したのだが、大学院修了後は、大学の非常勤講師や年度ごとに更新される研究員として研究を続けたのだ。「非正規」という働き方は、経済的に不安定なだけでなく、社会的存在としての不安定さも、大きな問題ではないか、そう強く感じた経験があった。昨年11月に父が亡くなった時のことだ。非常勤先の大学にその旨を連絡し、授業を休講にしてもらった。悲しみも癒えぬまま、翌週、出講すると、教務課の担当者から「補講はいつにしますか?」ときわめて事務的に尋ねられた。それが、自分でも思いがけず、ショックだった。当然、相手は休講した理由を知っているのである。たとえ儀礼的であっても、「大変でしたね」とか「お悔やみ申し上げます」と、そうした一言があるだろうと思っていた。だが、次に行った大学でも、扱いは同じだった。「人として扱われていない」、そう感じた。「同僚」や「仲間」であれば、そんな態度はとれないはずだからだ。非正規には忌引きや慶弔金が認められていない職場も多いと聞くが、それ以前に、こうした扱いそのものに傷ついている人は多いのではないだろうか。
「社会的排除」という概念がある。「貧困」の議論の際、よく用いられるのだが、その社会で人々が「あたりまえ」としている活動やサービスに参加やアクセスができない、というものだ。非正規労働者は、いうなれば「職場的排除」にあっているようなものではないのか。昇進や賞与の対象外というのは言うに及ばず、職場で「あたりまえ」とされている福利厚生やサービスからも、ことごとく排除されている。何より、「仲間」として認められていない。それは、ボディブローのようにじわじわと、心にダメージを与えていくように思われる。
経済的に不安定であるというだけでなく、そうした社会的存在としての不安定さという視点からも、非正規という働き方の問題を考える必要があるのではないだろうか。
(生活経済政策2015年9月号掲載)