人権委員会との「建設的対話」
浅倉 むつ子【早稲田大学大学院法務研究科教授】
国連の女性差別撤廃委員会は、2016年2月16日、5回目となる日本レポート審査をジュネーブの国連本部で行った。4回目の2009年7月以来、6年半ぶりである。私はこれまでに、第1回(1988年)、第2回(1994年)、第3回(2003年)の審査を傍聴してきたが、4回目はミスしたので、今回、しばらくぶりの傍聴にでかけた。
一つの国の審査時間は5時間に過ぎないが、委員会は事前に相当の準備をする。今回も、日本からの国家レポートを2014年9月に受け取り、翌年7月には事前作業部会で22項目の「課題リスト」を採択し、それに対する日本政府やNGOからの追加的情報を得たうえで、当日の審査が行われた。
国際人権の専門家である委員たちは、日本の事情に精通したうえで、短いが適切かつ鋭い内容の質問とコメントを行なった。この「建設的対話」を率直に受けとめて国の政策に反映させる努力をすれば、締約国にとっては非常に有益な成果が得られるはずである。これまでは日本政府代表団も、懸命に、この「建設的対話」を行なう努力をしてきたといってよい。
ところが、今回は、その期待は裏切られた。日本政府代表団は「建設的対話」よりも自らの「成果」の強調に汲々としており、その態度は、とりわけ「慰安婦問題」の対応をめぐって露呈した。団長の杉山晋輔外務審議官は、日本軍や官憲による「強制連行」はねつ造であり「性奴隷」という表現は事実に反するとしながら、日韓両国政府の合意をもとに元慰安婦のための事業に取り組む政府の姿勢を強調した。複数の委員から、歴史を変えることはできない、強制連行がないのならなぜ日韓政府合意が必要なのか、矛盾していないかと批判されると、その発言は事実に反し「受け容れられない」と、強く反論した。委員と締約国が敬意をもって対話を重ねるという審査手法を傍聴してきた私にとっては、この光景はかなり異様なものであった。
3月7日には、審査後の評価というべき「総括所見」が発表され、予想通り、日本政府には厳しい内容のものとなった。しかし杉山審議官のこの発言だけが、なぜか外務省のホームページに掲載されている。政府が委員会の審査で自国の立場を強弁することに意義を見いだしているのなら、それははなはだ見当違いである。人権委員会との建設的対話から学ぶべきことは、もっと多いはずだ。
(生活経済政策2016年4月号掲載)