1億総活躍社会を考える
高木 郁朗【日本女子大学名誉教授】
「1億総活躍社会」は、「働き方改革」とともに、2015年以降の安倍内閣の重要な表看板となっており、子育て支援を中心とする具体的プランも策定されている。名称が「1億総懺悔」とか「国民総動員」を思い起こさせるだけでなく、一方で育児休業の2年までへの延長、パート減税の廃止ではなく配偶者控除の大幅な引き上げといった「一人稼ぎモデル」にもとづく家族政策が同時に展開されるという無茶苦茶な政策論理の非一貫性があることはたしかであるが、重要な問題提起がふくまれていることを無視すべきではない。
2016年10月の東京都における職業別有効求人倍率は一般常用では保安の職業が14.05倍、医師・歯科医師・獣医師・薬剤師が9.69、パート常用では保安の職業16.09倍、介護サービスの職業10.56倍となっており、一般に事務系の低い倍率をのぞくと激しい労働力不足状況が示されている。
きわめてシンプルにいえば、経済成長は就業人口の増加率と生産性の上昇率の乗数(名目ではさらに物価の上昇率が加わる)であり、過去の統計では、近年の国民経済レベルでの生産性の上昇率は年平均1%以内であるから、それを超える経済成長率を目標とするかぎり、就業者の増加は必須の条件となる。事実、政府の1億総活躍プランでは、目的はGDP600兆円の達成で、総活躍のための政策体系がその手段として描かれている。
大事なことはこの関係である。就業人口増加は長期的には出生率の上昇が不可欠であるが、活躍の対象者は、短期・中期には年齢別就業率からみて30〜40歳台の女性(+高齢者)であるから、政策手段も子育ての社会化が中心となっている。このことからは、現在の経済政策は適切な社会政策抜きには有効なものとなりえない、ということが示される。しかも就業人口の不足は、周期的な景気循環によってもたらされているのではなく、構造的なものでもある。
経済政策の前提として社会政策が不可欠であるという認識がどこまで政府にあるかは不分明である。この点をはっきりさせて、長くとれば1980年代の中曽根政権以来の市場万能主義の潮流を大転換させるための、適切な社会政策のビジョンとプランを樹立する責任は、野党や労働組合に大きくのしかかっている。
(生活経済政策2017年1月号掲載)