仕事上の能力とはなにか?
禿あや美【跡見学園女子大学マネジメント学部准教授】
東京医科大学が女子受験生の2次試験の点数を一律に2割も減点していたことが、今年明らかとなった。その理由は、女性医師は男性医師に比べると、出産や育児等で働き方に制約が出たり離職したりする可能性があるため、女性の割合が高くなると現場が回らなく恐れがあるから、入学する女性の数を抑制する必要があるというものだった。他大学も含め医学部入試の男女別合格率の差は大きく、多くの大学でも何らかの「調整」があると疑われている。報道された当初、入試は受験勉強の成果が点数としてわかりやすく示され、また公平に行われているはずのものなのに、このような点数調整は「女性差別である」との意見が広く見られた。女性差別に寛容な世論が多い日本では異例のことであると、私は感じた。しかし、報道が進むにつれ、職場が回らなくなるなら仕方ないといった意見に共感が寄せられ、あらかじめ募集要項に男女で採用数に枠があることなどを記載していれば問題ないとの見解も出る始末である。
こうした悪しき慣行は、企業の採用試験でも広く行なわれてきた。それに対する批判が入試のようにはこれまで出て来なかったことに、私たちの社会が抱える問題の根深さが示されている。入社試験の点数順に採用すると女性が多くなりすぎるといった声は以前よりあるし、総合職の女性比率は約2割で、医師に占める女性の割合とほぼ同じである。しかしどのような労働者を受け入れるかについては、企業の裁量権の範囲なのだから、仕方ないと考えられている。
入社試験と入学試験の女性差別の構図は全く同じである。出産や育児で働き方に制約が生じる可能性があることは、試験を受けた時点の女性個人の試験の点数をカットする理由となりうるのか。家事や育児、介護への社会の支援体制の不備は、医師として、あるいは労働者として働くにあたって、個人の職務遂行能力が足りないとする理由になりうるのか。そしてそれを、その社会を過去に作り上げて来たわけではない、いま受験に向かっている子ども、就職活動に向かっている若者に押し付けることに、妥当性はあるのか。働く人々の多様性を担保することが、個々の能力を生かすには欠かせない。日本社会の今後が試されている。
(生活経済政策2018年10月号掲載)