民主主義の死を避けるために
山口二郎【法政大学法学部教授】
新年早々不吉な話で恐縮だが、昨年の政治学界では、先進国の民主政治の劣化や危機に警鐘を鳴らす書物がたくさん出版された。日本語にも翻訳されて話題を呼んだのは、スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラットの『民主主義の死に方』(新潮社)である。
著者によれば、アメリカにおけるトランプ大統領の出現は、民主政治にとっての深刻な危機である。民主政治には、個人の尊厳、法の下の平等、自由な報道、公正な選挙制度、司法の独立など多くの制度的な土台が必要である。民主政治が平穏に機能している時には、これらの土台の存在をことさら意識することはない。また、20世紀の後半は、民主主義が唯一で自明の政治制度であると人々は安心してきた。
しかし、トランプやそれに類するデマゴーグはこれらの制度や原理に公然と攻撃を加えている。メディアには偽りがあふれ、権力を批判する健全なジャーナリズムは権力者に抑圧されている。少数者や女性の権利を否定する言説も飛び交っている。民主政治が依拠する土台を崩す点で、トランプは同じ土俵で戦うライバルではなく、戦えない敵なのである。
もちろん、民主主義を回復する草の根からの動きも起こっている。昨年秋のアメリカ中間選挙では、民主党内で多くの女性新人議員が誕生した。下院では民主党が多数を奪還し、大統領の暴走には一応の歯止めができた。我が国の首相は、G20の際にこの結果を歴史的勝利と祝福したそうで、皮肉ならば大胆すぎるし、本気ならば首相はよほどの無知である。
それはともかく、レビツキー、ジブラットの民主主義衰弱のテストを日本に当てはめると、かなりの部分アメリカと同じような病症を呈していることがわかる。メディアにおける批判的言論は衰弱し、議会政治では言葉が通じないほど審議が形骸化している。国会は、事実の裏付けを持たないずさんな法案を追認する機関に成り下がっている。
こうした危機を打開するためには、アメリカと同じく、選挙でおごった権力者を罰するしかない。今年は参議院選挙が予定されている。ここで少なくとも改憲勢力の3分の2を阻止しなければ、現在の独裁的な政治がさらに数年続き、憲法改正も日程に上ることとなる。日本の民主主義も決して盤石ではない。政治の現状に危機感を持つ政治家と市民がそれぞれ動くことによって、危機を乗り越え、民主主義を回復しなければならない。政党も労働組合も、目先の組織的利益にとらわれず、大局的に動くことが求められている。
(生活経済政策2019年1月号掲載)