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明日への視角

「嫌な政党」(nasty party)のゆくえ

武田宏子【名古屋大学大学院法学研究科教授】

 日本についでイギリスを「国賓」待遇で訪問したアメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領は、イギリス到着の直前にサセックス公爵夫人とサディーク・カーン・ロンドン市長のことを「嫌な」(nasty)人間であると評して、物議を醸した。
 そのトランプ大統領をイギリスに招待したテレーザ・メイ首相には、保守党幹事長であった2002年党大会において、保守党がしばしば世間では「nasty party」と呼ばれていると直截に指摘して、党改革の覚悟を強く求めたという過去がある。当時、野党であった保守党の議員や党役員の多くは中年から初老の相対的に裕福な男性であり、そうした党内の状況は1997年総選挙で女性議員の数を倍増させたニュー・レイバーとは全く対照的で、また、イギリス社会の実態とはかけ離れていたことは否めなかった。だからこそ保守党は、イギリスの人びとが日々の暮らしの中で直面する問題を共感をもって受け止め、理解することができない。保守党が政権に返り咲くためには、党内の多様性を高め、女性やマイノリティなどが抱える問題への応答性を高める必要がある。こうしたメイの問題意識は、首相就任時に表明された「ぎりぎりで暮らしている」(just about managing)人びとのニーズに応答する政治への志向性へと引き継がれていったように見える。
 ブレクジットをめぐる政治過程は、しかしながら、メイに「ぎりぎりで暮らしている」人びとのための政治に携わることを許さず、首相就任から3年未満でイギリス史上2人目の女性首相は辞任することを強いられた。現在、保守党ではメイの後継党首/首相選出過程が進んでいるが、異例なほどに多くの候補者が名乗りを上げ、最終候補に残るために過激な主張を展開し、厳しく競り合う様子を見ていると、どうしても「nasty party」という言い方を思い出してしまう。有力候補者のひとりがブレクジットを実現するためには議会を停止ことも排除しないとまで発言する一方で、首相となる次期保守党党首の選出過程に参加できる保守党の一般党員はたったの約16万人(イギリスの総人口の約0.24%)であり、現在でもその多くは年長の男性である。何よりも、そもそもEU離脱をめぐる国民投票を行なうことになったのは、保守党の党内事情が原因であった。
 Nasty partyはnasty partyであることから脱却できずに、イギリスという国をどこに連れて行こうとしているのであろうか。

生活経済政策2019年7月号掲載