原発は要らない
高橋伸彰【立命館大学名誉教授】
福島第一原発の事故後、2014年には全基停止していた原発は、15年8月の川内1号機の運転再開を転機に現在は9基が再稼働している。今年は対策の遅れで再度停止する原発もあるが、政府の『エネルギー基本計画』では2030年度までに30基前後が再稼働する見込みだ。再稼働の背景には、安全に関する規制の徹底や技術の開発および人材の育成を図るなら、原発事故の危険は回避できるという「原子力村」の論理がある。
これに対し、物理学者の高木仁三郎をはじめ原発に反対する研究者は、福島の事故前から原発の危険性に対して警告を発し続けてきた。原子力の平和利用と言っても、原発の原子炉内では核兵器による大量破壊と同じ核分裂の連鎖反応によって発電が行われている。この結果、稼働中の原子炉が地震や津波、テロなどで制御不能に陥ると、外部に向かって核兵器と同じ破壊力が暴走したり、大量の放射性物質(死の灰)が拡散したりする危険がある。いかに人知を尽くしても、こうした事故の確率をゼロにするのは不可能だ。
もちろん、原発に限らずどんなものでも事故の確率をゼロにはできない。それでも原発に100%の安全を求めるのは、一度事故が起こると人間や自然・環境に修復不能な被害を及ぼす危険があるからだ。その意味で、事故ゼロが不可能なら原発ゼロを目指す以外に道はない、それが「脱(反)原発」の論理である。
言うまでもなく、私たちが日々の生活を営んでいくうえで必要なのは電力であり、原発ではない。原発を再稼働しなくても、生活に必要な電力を生み出すだけの再生可能なエネルギーは自然界に十分存在する。また、一時的に電力不足に陥っても、需要を制御し、生活を工夫するだけの技術や知恵を私たちは備えている。
原発というダモクレスの剣から逃れ、持続可能な社会を実現するためには、今こそ私たちは原発ゼロを宣言し、政府は原発依存の計画を見直すべきだ。そうでなければ、なし崩し的に原発の再稼働が進められ、いつまでも安全で安心な社会は到来しないのである。
(生活経済政策2020年2月号掲載)