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明日への視角

災害と国家責任

高木郁朗【日本女子大学名誉教授】

 新型コロナウイルス感染症の恐怖が世界を覆っている。このウィルスの起源が、自然そのもののなかにあるのか、つまり天災なのか、何かの実験施設から漏れだしたもの、つまり人災であるのかは、知らない。しかし、恐怖に怯える人びとには、まさしく天から降ってきた災害であることにはまちがいがない。
 自然災害による損害に、国家は補償責任があるのか。従来の政府の見解は、阪神淡路大震災に際して当時の村山首相が答弁したように、「自然災害により個人が被害を受けた場合には、自助努力による回復が原則」というものだった。こうした論理に穴を開けたのは、1998年に議員立法として成立した「被災者生活再建支援法」だった。同法により、一定の限度内のことではあるが、のちの改正により住宅の再建まで含めて、「支援金」が支給されることとなった。この法律が成立するうえでは、労働組合、生協、それに兵庫県などの自治体が協力して2500万人もの署名が集められたことが力となった。
 とはいえ、論理としては、この法律でも自然災害についての補償責任を国が認めたわけではなく、コロナ対策でも示される「協力金」とおなじように、基金に対して補助金を給付するという建て前で、基本は「相互扶助」であった。同法はまた自然災害を原則として地震や風水害に限定している。
 もともと、たんなる自然災害というのはない。必ずなんらかの国家の政策的齟齬や各種の経済活動、いいかえれば人災とむすびついていることは、大災害の歴史をふりかえればすぐわかる。今回のコロナでも、政治家が人ごとのように「医療崩壊」というが、その実態は永年にわたる医療費節約政策がもたらしたものである。そのうえ、災害の被害には、関連する失業の状況が示すように、「階級性」があり、さまざまなかたちで、弱い立場にある人びとにしわ寄せされる。
 どの程度まで補償するのかは政策的な判断であるとしても、感染症や気象変動や環境変化にともなう健康被害、それに必要となる各種のケアを含めて、予防と補償についての国の責任を原理的に確立する必要がある。

生活経済政策2020年6月号掲載