政党トップを男女共同代表制に
住沢博紀【日本女子大学名誉教授】
「元気のない日本」という事でいつも引き合いに出されるのは、「世界経済フォーラム(ダボス会議)」のグローバル・ジェンダー・ギャップ報告である。女性が活躍できないことや社会的地位が低いことが、日本停滞の原因の一つとされるわけである。2020年報告書では、153カ国中120位とあるが、この順位は大事ではない。重要なことは3つの項目の男女比率を示すスコア(女性の数÷男性の数)である。議会の構成員は0.112、大臣など0.056、幹部職やマネジャー0.174とある。
この関連で、今年2月の森喜朗東京オリンピック組織委員長(当時)の発言が注目されたことはまだ記憶に新しい。「組織委員会にも女性がいるが、みんなわきまえている」という彼の実感こそ差別の本質をとらえている。そのため「#わきまえていない女」というSNSでの発信が注目された。しかし「わきまえている女」と「わきまえていない女」という二分法の議論も建設的とは思われない。
1980年代、ジェンダー平等がいわれたころ、大組織の理事会や政府審議会、企業の幹部職などに幾人かの女性が登用されたが、「アリバイ女性」ともいわれた。現在では「リーン・イン・フェミニズム」(体制に寄りかかる女性)として、発言力も存在感もましているようだが、日本では多くは「わきまえる女性」の地位に甘んじている。自民党の女性大臣の幾人かはその事例である。その対極は、「突出する女性」であると思う。サッチャーやヒラリー・クリントンなどが思い浮かぶ。日本でも田中真紀子元外相や小池東京都知事などがいるが、むしろ「突出したい女性」のカテゴリーに属する。
ここで第3のカテゴリーがある。自立する女性リーダーではあるが、男性・他組織もふくめた協働性を追求するタイプである。ドイツのメルケル首相が想定できるが、保守・リベラルの連立政権であったことも関係していると思う。ドイツの緑の党は、当初から議員の男女同数、男女共同代表制を追求してきた。ハベックという男性党首はトップクラスの国民の人気があるが、この秋の選挙の首相候補には、ベアボックという女性党首を「選挙の顔」とした。多様性や変化を掲げるからである。
立憲民主党も、蓮舫、辻元清美、大河原雅子など経験豊かな政治家が党役員になっている。彼女たちの一人が「代表代行」や「副代表」などではなく、「共同代表」となれば、立憲民主党のイメージも変わる。女性政治家の比率をあげるのは時間がかかるが、男女共同代表は党で決議でもすればすぐにできる。また他組織でも活用できる手法として、女性の低い社会的地位を変える大きなシグナルにもなる。
(生活経済政策2021年6月号掲載)