人命・人権か経済か
高木郁朗【日本女子大学名誉教授】
ロシアによる野蛮な侵略戦争が続けられている。プーチンの手口は、人類に絶滅さえもたらしうる核の恐怖を脅迫の材料に使うだけ、ヒトラーにまさる。自分の身に鑑みれば、「我が亡きあとに洪水は来れ」、とうそぶいていたのに、亡くなるまえに洪水がやってきてしまった。洪水といえば、姿、形を変えつつ、人類を脅かす新型コロナ・ウィルスもおなじである。
プーチンとコロナの2つの洪水にかかわって、日本政府の政策に共通の怒りを感じている。どちらに対しても、日本政府には政策の原理というものがない。ロシアに関しては、G7諸国と連携して対策をとるといいつつ、日本が自ら積極的に、実効的な経済制裁を実行しようとはしない。ウクライナ人の命がどれだけ失われても、日本の天然ガス資源と出資企業に悪影響が及ばないようにサハリンの共同開発からは撤退しない。コロナ禍ではウイズ・コロナなどといった用語を使って、医療・保健システムの再構築を含む社会システムの改革は回避し続け、結果として何度にもわたる流行の波と万で数える人間の死を招いている。
この2つに共通しているのは、両立という名目で、人命・人権と経済とをはかりにかける、ということである。政府の本音では人命よりも経済の方を優先するということであろう。岸田内閣への支持率の動向をみても、国民の多数派は、この政策動向に批判のほこ先をむけてはいない。悲しいことである。
たしかに非人間的な侵略戦争を続けるロシアに対して有効な打撃を与える経済制裁を実施すれば、エネルギーや食料品価格の高騰といったかたちで、火の粉は国民にも降りかかる。基本的人権を侵さないという原則のもとで徹底したコロナ禍に対抗するためには、費用の点からも社会活動の面からも国民の負担は大きくなる。それでも、政府は、国際面でも国内面でも、人命・人権がすべてに優先する政策を展開すべきである。それは短期的には国民負担が大きくなっても、長期的にはいまより良好な経済環境と社会システムと人間関係をつくる端緒となるはずである。
(生活経済政策2022年5月号掲載)