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明日への視角

「隠れ家」の80年

水島治郎【千葉大学法政経学部教授】

 今からちょうど80年前、1942年7月の早朝、オランダ・アムステルダムの自宅を出発し、密かに市内の別の場所に向かう一家があった。一家は住み慣れた集合住宅を離れ、友人知人たちと交流した思い出の残る自宅前広場を横切り、市内の運河沿いの事務所に付随するスペースに足を向けた。そこで新しい生活を始めるためである。
 一家の次女の名はアンネ・フランク。オランダは1940年5月、ナチ・ドイツの突然の侵攻により占領され、1942年にはユダヤ人迫害が本格化していた。7月、アウシュヴィッツなど強制収容所への「移送」が大規模に始まり、姉マルゴーにも呼び出し状が届く。そこで一家はただちに「隠れ家」に潜伏することを決断する。父オットーが、すでに会社の事務所の階上に潜伏場所を確保し、準備を進めていたのである。
 隠れ家の生活は、2年強に及んだ。アンネがその間のできごとや悩み、戦争と平和への思いなどを書き綴った日記帳は、後に『アンネの日記』として公刊されてベストセラーになる。しかし1944年8月、隠れ家が露見し、フランク一家や他のユダヤ人潜伏者は全員摘発されて強制収容所に送られた。戦後帰還したのは、オットーただ一人だった。
 現在ロシアの侵攻にさらされているウクライナも、かつてのオランダ同様、第二次世界大戦でナチ・ドイツに蹂躙され、とりわけユダヤ人が大量に殺害された歴史をもつ。大統領のゼレンスキーもユダヤ系だ。
 そして今、ウクライナでは子どもを含む多くの市民が再び戦火にさらされ、逃げまどい、犠牲となっている。巨大製鉄所の内部に潜伏した一般人の家族もいた。80年前、隣国による支配下、迫害を逃れようと隠れ家に逃げ込んだアンネ・フランクと家族の姿が思い浮かぶ。
 連行される3週間前、アンネは次のように書き残している。「私は思うのです—いつかは(中略)いまのこういう惨害にも終止符が打たれて、平和な、静かな世界がもどってくるだろう、と」*。
 この80年間、世界はいったいどれだけの「隠れ家の少女」を生んできたのだろうか。そしてそれを今回限りで終わらせるため、私たちに何ができるのだろうか。

*アンネ・フランク『アンネの日記 増補新訂版』文春文庫、575ページ。

生活経済政策2022年6月号掲載