多様性を守るとはどういうことか
杉田敦【政治学者・法政大学法学部教授】
LGBTQの人々や移民の人々など、さまざまなマイノリティが安心して生きられるように、社会の多様性が重要だというリベラルな主張に対して、ネット上などで、次のような議論がしばしば見られる。「そのような主張をしてもいいが、対立する主張、つまりLGBTQは気持ち悪いとか、移民は邪魔だといった主張をすることも認めるべきだ。それが多様性の意味だ」。
「リベラル派が、マイノリティに対するある種の議論を問題にし批判するのは、多様性を言いながら、特定の考え方を押し付けており、矛盾しているのではないか」。こうした議論をされると、リベラル派は有効に反論できず、あたかも「論破」されたかのような印象を与えてしまうことが多い。
この問題をどう考えるべきか、筆者も以前から気になり、自分なりに考えてきたところである。答えが出たわけではないが、今のところ、こう整理している。多様性を求める考え方は、さまざまな価値がそれぞれに正しいという多元主義と深い関係にある。イギリスの哲学者・歴史家アイザイア・バーリンは、ある一つの価値を重視する一元主義と対比させる形で多元主義を追究し、自らの立場とした。しかし、さらに一歩進めれば、多元主義とは、価値の多元性への一元的なコミットメントという点で、実は一種の一元主義(「多元主義という一元主義」)と言えるのではないのか。多元性そのものは疑わないというところで、多元主義は成立しているのではないか。多様な価値の中から選択する可能性の保障という、いわば一段上のレベルの価値として、バーリンが自由を位置付けていることも注目される。
同様に、社会の多様性を求めるとは、どんな生き方でもよく、多様性を否定する生き方でも構わない、ということではなく、多様性への一元主義なのではないか。そう考えることができるとすれば、差別主義的な主張への批判に矛盾はないことになる。
政治哲学は、こうした難問を十分に扱ってこなかった。しかし、差別・分断・排除の思想が世界を覆いつつある中、もはやあいまいなままにしておくわけには行かないかもしれない。
(生活経済政策2022年11月号掲載)