投票か、銃弾か
安井宏樹【神戸大学大学院法学研究科教授】
4月15日、衆院補選の応援演説に臨もうとしていた岸田文雄首相に爆発物が投げつけられるという事件が起きた。昨夏の参院選では、演説中の安倍晋三元首相が銃撃されて亡くなるという事件も起きている。「自由な言論」が「民主主義の基」である以上、与野党を問わず一斉に「暴挙」・「民主主義に対する挑戦」・「許されない」との声が上がったのは当然だろう。
本稿執筆の時点(4月17日)では犯行の動機などが明らかにされていないため、政治目的の行動であると断定することはできない。しかし、昨年の安倍元首相銃撃を肯定するような言説がネット上などに見られたことを思えば、今回の事件も、第三者からの「評価」を通じて「民主主義に対する挑戦」という意味を帯びてしまう恐れは否定できないだろう。
問題はその先である。民主主義を大切に思うのであれば、「挑戦」に対抗する何らかの手立てを考えるのが筋であろう。そうした手立ての一つとして、「警備の強化」といった方策が浮上してくることも予想される。実際に被害が生じていることを思えば、それは必要な対策とも言えるが、しかし同時に、そうした対症療法的なものだけで事足れりとしてしまっては不健全であるとも思う。より根本的な手立ては、政治権力者への異議申し立ての手段として、銃弾や爆弾といった暴力的手段よりも、選挙や投票という民主的手段の方が有効で魅力的なものになるような環境や構造を育んでいくことだろう。そのためには、「投票を通じて政治が変わる」という実感を人々が持てるようにすることが重要であるように思われる。
それは一見すると、迂遠で夢物語めいた美辞麗句に感じられるかも知れない。しかし、貧困に苦しむ者が盗みに手を染めてしまうのを目にしたとき、その者の「不心得」を咎めて治安強化策を叫ぶよりも、社会改良によって人々の生活水準向上を目指す方が根本的な解決につながると考えるような人にとっては、必要で大切な視角ではないだろうか。
(生活経済政策2023年5月号掲載)