失われた1970年の転機
高橋伸彰【立命館大学名誉教授】
1970年。「くたばれGNP」の特集が朝日新聞で組まれ、公害対策基本法の目的「生活環境の保全」に付された「経済の健全な発展との調和」条項が、経済優先の誤解を招くとの理由で削除された。高度成長からの歴史的な転換が、日本の中で胎動し始めていたのだ。
だが、不幸にも転換の画期は二つの経済ショックによって阻まれた。政府や財界そして多くのエコノミストが、ニクソンショックと石油危機による未曽有の不況を「何でもあり」の景気対策で乗り切り、再度、成長経済への復帰を図ろうとしたからだ。
この結果、深刻な影響を受けたのが環境政策。厳し過ぎる規制が成長や景気の回復を阻んでいるという声の前で、「経済発展との調和」どころか「経済成長のために」各種の規制は大幅な緩和を強いられた。また、石油火力に代わる電力の安定供給を金科玉条に原子力発電所の建設が次々と進められ、公共投資も医療や介護、教育や保育、住宅や環境保全などの生活インフラから、道路を中心とする生産インフラへとシフトした。
これに対し、高度成長の終焉を一早く見抜き、成長の減速は必然と説いていた慧眼のエコノミスト、高橋亀吉と下村治は二つのショックが日本経済の危機ではなく、むしろ日本の社会がより豊かになる格好の転機だと主張した。実際、下村はニクソンショックから8ケ月後の1972年4月、参議院予算委員会で「これまでの日本の経済とは全く違った、ほんとうに豊かな・・時代が始まろうとしている」と述べた。
高橋は1977年に享年86で、下村は1989年に享年78で亡くなったが、二人が唱えた豊かな社会への転換は未完のままである。その顛末こそ、市場競争を神格化して、手段に過ぎない経済成長を目的に祭り上げ、環境の悪化や貧困・格差を放置する新自由主義的なイデオロギー(経済学ではない!)の蔓延に他ならない。
そう考えると、長期停滞に陥って久しい今こそ、慧眼の二人が説いた議論に倣い、成長に依存しない豊かな社会の構築に向けて、あらゆる政策を総動員するべきではないか。もはや日本経済の選択肢には、成長を前提とするような政策は存在しないのである。
(生活経済政策2024年2月号掲載)