「取引」による信頼の破壊
安井宏樹【神戸大学大学院法学研究科教授】
「もしトラ」という表現がネットやメディアで目立つようになったのは、去年の今頃だったろうか。この言葉は「もしトランプが米大統領になったら」の略語(?)であるが、その後、「ほぼトラ」になり、11月には「確トラ」となった。
「もしトラ」論の中では様々な未来予想図が描かれたが、それらのいくつかは、今年1月のトランプ政権発足後に現実のものとなった。地球温暖化対策枠組みであるパリ協定からの離脱、DEI(多様性・公平性・包括性)推進政策の撤廃、関税を武器とした恐喝めいた外交、等々である。こうした一連の動きで目立つのは、「米国第一主義」という目標と、「取引」という手法・姿勢である。
その中で欧州諸国に衝撃を与えたのが、ウクライナ戦争を終わらせると豪語してトランプ政権が展開した行動であろう。欧州の頭越しにプーチン政権と交渉し、国連総会でのロシア非難決議に反対したばかりでなく、ウクライナにレアメタル開発権益を要求したのである。確かに権益は米国に利益をもたらすであろうし、相手方の立場に一定の理解を示すことも「取引」成立を促すだろう。しかし、その過程で出された欧州側からの批判に対して、トランプ政権が支援の停止や敵対的とすら言える言辞(たとえばヴァンス副大統領のダヴォス会議演説)で応じたことは、欧州諸国に大きな失望を与えた。
もしかすると、こうした行動は「取引」の一環としての芝居に過ぎないのかも知れない。しかし、万一の事態に備えるのが安全保障だと考えるのであれば、自分たちを簡単に「取引」の材料として見捨てるような国を信用して依存するのは、あまりにもナイーヴだということにもなろう。あの米ソ冷戦の時代にも、米国が本当に欧州を防衛するのかという疑念は陰でささやかれてきた。価値を共有する米欧同盟の結束が繰り返し確認され続けてきたのは、同盟への疑念を払拭する必要があったからでもあるが、トランプ流の「取引」は、そうした長年の努力によって築き上げられてきた信頼を一気に崩してしまった。その先に待っているのは、価値や信頼を軽視し、力と欲得で動く世界なのだろうか。
(生活経済政策2025年4月号掲載)