「格差社会」を超える論理―コミュニティ復権の「美しいムラ」づくり―
大内秀明(東北大学名誉教授)
「格差社会」が流行語から与野党対決の政治の争点となった。もともと社会学者の提起によるもので、はなはだ無概念な社会把握なのだ。
土地や労働力まで商品になり市場経済の全面化する資本主義の特徴は、昔から無政府性だった。絶えざる不均衡、不断の格差・不平等である。だが、単に無政府性をいうだけなら、資本主義は社会として成り立たない。経済学も科学となるためには、スミスは「見えざる手」による自然価格、労賃・利潤・地代の自然率を法則とした。マルクスも『資本論』で純粋資本主義を抽象し、絶えざる「不均衡の均衡法則」として周期的恐慌の必然性を解明、若き日の「恐慌=革命テーゼ」を放棄した。
第一次産業革命で確立した資本主義だが、重化学工業化で歴史的に変質した。市場原理による「不均衡の均衡法則」は、周期的恐慌の変形とともに、「不均等発展」なる「格差社会」、そして帝国主義列強の対立となった。市場原理が均衡の法則性を失い、格差が固定化・恒常化すれば、資本主義も人間社会としての存立が危なくなる。そこで、資本主義誕生の助産婦だった近代国民国家が前面に躍り出る。国家権力が主導し、完全雇用、所得再配分など、格差是正により均衡・平等をはかり、国民を組織的に統合する。20世紀の修正資本主義であり、国家独占資本主義である。
説明を端折る。国家による国民統合には、国際対立とそのイデオロギーが必要だ。枢軸国vs反枢軸国、東西対立の冷戦構造である。イデオロギーは、一方のプロレタリア独裁の「国家社会主義」、他方は福祉国家の自由民主主義=国家資本主義だ。
2つの国家主義による格差是正も、財政破綻とIT革命のグローバル化で歴史的賞味期限は切れた。ソ連は崩壊し、福祉国家の多くも破綻である。新自由主義の市場原理がグローバルに噴出、再び不均等発展の「格差社会」登場となった。
こうした歴史位相からすれば、安倍総理の「美しい国」は、共同体幻想に過ぎぬ国家主義による国民の再統合の企てだろう。賞味期限切れのアナクロニズムだ。
対抗軸は、労働力の商品化による個人主義が極限化し、少死高齢化や人口減少など、人間の再生産の根源である家族・イエ、そして地域の共同体・ムラが崩壊した「格差社会」の現実から提起すべきだ。コミュニティ・ビジネスなど、共同体再生に根ざした「新しいイエ」「美しいムラ」の復権だろう。
(生活経済政策2007年3月号掲載)