「国民負担率」が低いと生活は楽になるか?
町田俊彦(専修大学経済学部教授)
小泉内閣は、中低所得者への福祉等の給付削減と負担強化を主な内容とする市場原理主義による構造改革(「小さな政府」の維持)と財政健全化最優先政策を強行してきた。それによる生活の劣悪化に対する国民の不満から参議院選挙で自民党・公明党は大敗したにもかかわらず、政策転換を行うことができず、多数の候補による総裁選の賑わいで人気を回復しようとした。
自民党・公明党の政策転換を制約しているのは、大企業と高所得者の利益を最優先しているにもかかわらず、国際的にみて低い国民負担率で生活が楽になるかのような幻想をふりまき、「小さな政府」を維持しようとする政策基調である。
欧米では一般にGDPに対する租税・社会保障負担(社会保険料等)の割合を指標として「公的負担率」と呼ぶ。欧米で公的負担率と呼ぶ場合には、[1]教育、医療、育児、介護、老後生活等を租税・社会保障負担を財源としてどこまで政府を通じて行い、どこまで私費で行うかの配分の比率として考えられており、[2]公的負担については企業と個人がどの程度ずつ負担し合うかを論議する。
教育、福祉等を租税・社会保障負担を財源として政府の手で行った方がいいのか、私費負担で行った方がいいのかは一概にはいえない。私費負担を最も望むのは企業であり、「負担」を免れることができる。次に高所得層であり、多額を貯蓄したり、民間保険に保険料を支払ったりして、準備しておくことができる。これに対して、一般の国民は私費負担で行われると、企業が負担を免れる分だけ負担が重くなって生活の水準低下、不安定化が進むことになる。例えば日本の公教育費(対GDP比)は先進国で最も低いため、授業料などの私費負担は最も高くなっている。中低所得層は重い教育費の私費負担に苦しんでおり、少子化にも大きな影響を与えている。
「小さな政府」と大企業・高所得者を優遇している低い国民負担率は国民生活を破壊しつつある。国民の生活を向上させるのに必要な政府の規模・役割、その財源の大企業、高額所得者、中所得者の間での分担関係等をめぐる政策論争が必要になっている。
(生活経済政策2008年11月号掲載)