時代が呼び戻した作品
中村 達也(中央大学教授)
偶然であろうか。長らく品切れ・絶版になっていた作品が、今年になって相次いで復刊された。まずはピョートル・クロポトキンの『相互扶助論(1902年)』(同時代社)。大杉栄訳ですでに1928年に春陽堂から出版されていたのだが、装いを新たに復刊された。そして、バートランド・ラッセルの『怠惰への讃歌(1935年)』(平凡社ライブラリー)。これまた角川文庫版で1958年に出ていたものの復刊である。
偶然なのではない。きっと時代が呼び戻した作品なのかもしれない。新自由主義と自己責任論が吹き荒れた索漠とした風景の中で、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」の理想を語った『相互扶助論』が新鮮に響いてくる。個の自由と助け合いとは対立するものではないというメッセージは、この時代だからこそ考えてみる意味がありそうだ。そしてもう一冊の『怠惰への讃歌』。今、この社会で聞こえてくるのは「過労への挽歌」だ。ラッセルはこの本の中で、一日四時間労働を提唱している。それによって生みだされる閑暇こそが、本当の豊かさをもたらすのだ、と。
空想的な絵空事と思われるであろうか。日本経済が、戦争の痛手から立ち直って戦前水準を回復したのが1950年代の半ば頃。それからほぼ半世紀を経て、実質GDPはおよそ11倍、一人当たりに換算してほぼ8倍にまで増大した。まことに大きな変化といわねばならない。これだけのGDPを長時間の過労でまかない、その一方で職にありつけない多数の失業者がいる。そうではなく、ラッセル流の全員労働、一日四時間労働でこの実質GDPを獲得するというのは、時代が求めるありうべきシナリオかもしれない。過労と失業の併存から、全員参加の四時間労働へ!。そして「怠惰への讃歌」をみなが歌う!。
2002年に、政労使によるワークシェアリングが提唱されたことがある。しかし、いつの間にやら雲散霧消。そして今年、百年に一度ともいわれる経済危機への対応として、またしてもワークシェアリングが語られている。浮き足だったその場しのぎのワークシェアリングではない働き方と暮らし方を考えるために、時代が『相互扶助論』と『怠惰への讃歌』を呼び戻したのではあるまいか。
(生活経済政策2009年11月号掲載)