ケインズ革命を超えて ―社会的・連帯経済体制の構築―
粕谷 信次(法政大学教授)
「ケインズ的福祉国家」を攻撃して、営利の自由を解き放った新自由主義は、[1]先進諸国、途上国を問わず、諸格差を拡大し、社会的統合の危機を深め、[2]食・エネルギー・環境問題を深刻化させ、大地と「命と暮し」の共生も危機的なものにした。そして、自由化が帰結した金融バブルの宴のあと、現今の「金融危機・経済危機」に陥った。今、各国とも国家を再び前面に登場させ、空前の規模の財政支出、金融緩和で、辛くもカタストロフィーを食い止めている。新自由主義は後退を免れまい。しかし、ケインジアンは蘇るだろうか。一段と精緻な規制システムつくれば、暴走する市場を規制し得るだろうか。
なるほど、ケインズ主義的国家は、世界大恐慌の大ピンチから資本主義を救い出し、第二次世界大戦後、グローバルな経済成長さえ実現した。しかし、やがて、スタグフレーションに逢着し、新自由主義への道を掃き清めてしまった前科がある。しかも、いまや、かつてはなかった環境制約が重くのしかかり、もはや有効需要の拡大、経済成長に頼る社会統合はできなくなった。
かくて、ケインジアンを超える新たな枠組みが必要となる。そのキーワードは? 最近とみに注目され、われわれも提起しているのが「社会的・連帯経済」をマクロシステムに組み込むことである。営利のための営利、賃金獲得だけの為の賃労働、そして、それらに外的に臨む国家的公共性というシステム的枠組みでは、〈個−共同〉の社会的存在としての人間が見えない。人びとが紡ぐ〈多様な、重層的な、フォーマル−インフォーマルな協同・連帯〉が、一方でシステム化された経済セクターに、他方で分権化された立法・行政システムに働きかけ、経済と国家に参加し、自分たちのつくったものに変革するのである。
それが成るとき、社会的に排除された者を再包摂する活動が、また大地との循環を再生する社会づくりそのものが、「命と暮らしの営み」を丸ごと就労・社会参加の機会に転化する(「内需主導型経済」)。こうして、有効需要を追加して(つまり経済成長によって)社会的統合を図るケインジアンの社会統合の仕方を超えることができるのである。
(生活経済政策2010年1月号掲載)