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明日への視角

武器輸出三原則は本義にそった論議を

浜谷 惇(生活経済政策研究所参与)

 日本には誇れることがある。集団的自衛権の不行使、専守防衛、非核三原則、武器輸出三原則らがそれである。これらは55年体制といわれた時代に国会質疑を通じて時の政府が内外に発信した政府統一見解である。
 武器輸出三原則の端緒は1967年春の衆議院で石橋政嗣氏や華山親義氏(いずれも社会党)が防衛産業界が強く求めていた武器輸出に「歯止め」をかける追及であった。何人かの追及を受けたあと、衆院決算委員会で佐藤栄作首相は、外国為替及び外国貿易法及び輸出貿易管理令によって、[1]共産圏向け[2]国連決議により武器等の輸出が禁止されている国[3]国際紛争当事国又はそのおそれのある国には「輸出してはならない」とする政府統一見解を表明した。さらに1976年春の国会で三木武夫首相は、「武器」の定義をより明確にしたうえで、三原則対象以外の地域についても「武器の輸出を慎む」との新たな政府統一見解を表明した。その後、自民党内閣は官房長官談話によって、米国との武器技術供与や共同開発を例外措置とし、また野田佳彦内閣は国際共同開発と生産、防衛装備品等の海外移転を包括的に三原則の例外措置とした。国会審議をぬきにしてである。
 そして安倍晋三内閣は官房長官談話によって、米政府の管理下で戦闘機F35の国際共同生産への日本の参加を決めた。安倍氏は野党時代にテレビ番組で、日本も西ドイツのように武器の開発や輸出をしていればよかったと発言するなど、防衛産業の開発・生産・輸出の育成に積極的である。近く決める国家安全保障戦略のなかで武器輸出三原則の見直しを明記するという。他方、野田内閣で防衛大臣を務めた森本敏氏は前述の包括的例外措置を「政務三役の人だけで決定した」と述べ、それができたのは過去の大臣答弁のしがらみのない民主党政権だったからできた、とラジオ番組で語っている。
 日本は他の「普通の国」のように武器市場に参入していいのか。安倍首相は、国会審議の経過を無視する手法で武器輸出規制の本義そのものに手を加えようとしている。状況はまことに危うい。あとになって特定秘密保護法案に「続くものだった」となっては困る。国会は、資料収集と分析にもとづく問題解明を政府に迫り、審議を尽くすなかで知恵を出し合い結論を見つける場である。冒頭に述べた日本が誇れる政府統一見解がいずれも国会審議を通じて表明され、維持されてきた歴史の重みはそれを教えてくれている。

生活経済政策2014年1月号掲載