知識人と権力、あるいは「団塊の世代」の恥
村上 信一郎(神戸市外国語大学名誉教授)
安保法制懇なる面妖きわまりない安部首相の私的懇談会の最終報告書が5月15日に提出された。この懇談会には政治学会や国際政治学会でも見覚えのある大学教授が多数選ばれて参加していた。だが実質的な報告書の執筆者は北岡伸一・国際大学長だったという。
北岡氏は私と同じ1948年生まれの「団塊の世代」。東大法学部教授を務める傍ら、第一次安部政権以来、民主党も含め5代の政権に様々な形で関わってきた華麗な経歴はここに記すまでもないであろう。第一次安部政権下で行われた日中歴史共同研究の日本側座長を務めるなど日本政治外交史の研究者ならではの有意義な役割も果たしてきた「団塊の世代」を代表する知識人の一人である。
「安保法制懇に正統性がないと(新聞に)書かれるが、首相の私的懇談会だから、正統性なんてそもそもあるわけがない」「(安保法制懇に)自分と意見の違う人を入れてどうするのか。日本の悪しき平等主義だ」「安全保障の専門家で集団的自衛権に反対の人はほとんどいない」(『朝日新聞』2014年5月20日付朝刊)。
この北岡氏の発言を読んで、私は思わず、シェイム・オン・ユー(恥を知れ)と叫んでいた。「団塊の世代」の恥ではないかと。
「一般に、現実に対するリアルな認識や対応は、何らかの価値に対する献身に支えられて始めて可能となるものであって、そうした根底のない「現実主義」は、現実に変容に追随するだけのものになりやすい。政治学者がしばしば指摘するように、マキャヴェッリとマキャヴェリアンとの決定的な差異はそこにある。清沢の外交評論は、そのようなリアリズムとアイディアリズムの結び付きの稀有な例であった」(『清沢洌―外交評論の運命』中公新書、1987年、212頁)。
ちなみにサントリー学芸賞を受賞した本書の著者は北岡伸一氏である。
「政府が、確保すべく奔走しているのは、政府を指導する知識人ではなく、政府の下僕となってはたらく知識人である。この種の知識人たちは、政府の政策を支援し、韜晦と婉曲話法を駆使し、もっと大がかりになると、オーウェル的な〈ニュースピークス〉の全システムを動員するだろう」(エドワード・W・サイード[大橋洋一訳]『知識人とは何か』平凡社、1998年、31頁)。
(生活経済政策2014年7月号掲載)