解釈改憲と「いつか来た道」
安井宏樹【神戸大学大学院法学研究科教授】
昨年最大の国内政治争点は、公称「平和安全法制」問題であった。歴代内閣が40年以上にわたって違憲としてきた集団的自衛権の行使を前提とする同法制は、多くの人に立憲主義と平和主義の危機を感じさせた。安倍内閣による「解釈改憲」によって、戦争へと向かう「いつか来た道」を進むのではないか。その危機意識が、60年安保以来とも評される規模のデモに人々を駆り立てたのだと思う。
この解釈改憲というテーマは憲法9条に絡めて論じられることが多いが、それを「いつか来た道」=戦前日本政治史の分析に活用したのが坂野潤治教授である。明治憲法は戦後の新憲法制定に至るまで改正されなかったが、内閣を選ぶ論理は時代と共に変化した。維新の元勲による藩閥政府の論理は、政党を内閣の担い手とする「憲政常道」の論理へと道を譲ったのである。坂野教授はその変化を「解釈改憲」と位置付け、天皇機関説を説いた美濃部達吉の意義を評価する(坂野潤治『日本憲政史』(東京大学出版会、2008年)他)。
だが、解釈に依拠する解釈改憲は制度化の度合いが低いため、関係する主体の権力関係の変化に脆弱である。戦前日本もその例に漏れず、1920年代に政官界で通説視されていた美濃部学説は、軍部が台頭した1930年代に攻撃されて動揺し、政党内閣制も崩壊した。
こうした「いつか来た道」での解釈改憲の運命を思えば、今日の状況の危うさが一層はっきりする。小選挙区制と内閣制度改革によって党内統率力を高めた安倍首相。「一強他弱」状態にある国会。こうした権力の布置状況からすると、内閣法制局長官人事への介入に始まり、解釈改憲から公称「平和安全法制」成立へと至る展開は、ある意味で自然な流れだったとすら言えるのかも知れない。
しかし、そこで諦めてしまっては敗北主義である。流れに抗する手立てを求めて「いつか来た道」を顧みると、解釈改憲によって揺らぎ続けた内閣選定論理は、戦後、新憲法に明記されたことで安定を確立したことに気付く。これ以上の暴走的な解釈改憲を防ぐ手段として、そうしたやり方での固定化という選択肢もあり得るのだということは、頭に入れておいても損はないように思われる。
(生活経済政策2016年2月号掲載)