立憲主義に反する政府に、選挙で審判を
杉田敦【法政大学法学部教授】
政府は衆議院の解散を宣言し、政治の世界は総選挙一色となった。選挙では各政党の政策の優劣が争われるが、その前に確認しておくべきことが多い。
まず、審議を尽くす前の解散は解散権の濫用ではないのか。憲法第7条によって、内閣がいつでも好き勝手に解散できるかのような考え方が流布しているが、恣意的な解散は憲法違反の疑いがある。この間、政府は憲法第53条にもとづいて野党が行った臨時国会開催要求を理由なく拒否してきた。コロナ対策などで審議時間がとれない等と主張してきたが、その一方で自民党総裁選に時間をとっており、矛盾している。さまざまな疑惑や、迷走するコロナ対策などについて、国会で野党に追及されるのを避けたとしか見えない。国権の最高機関たる国会の軽視は、立憲主義の否定である。
ふりかえれば、近年の歴代内閣は、憲法や法律を蔑ろにしてきた。合理的で安定的な憲法第9条解釈を覆す安保法制制定はその一例である。最近では、日本学術会議の任命拒否問題がある。設置法で定められた手続きの違反にとどまらず、同法制定時の国会における、学術会議の推薦候補をそのまま通すという政府答弁を覆した。答弁内容を変更するのであれば国会審議が必要であり、内閣が一方的に変えたことは、行政権力の暴走である。そもそも、自律的な学術アカデミーへの介入は、憲法第23条の学問の自由の侵害である。強権的な政府の下では、学問の世界にとどまらず、国民の人権そのものが脅かされる。
学術会議会員人事への介入は、遅くとも5年前には始まっていた。当時、役員であった筆者は、不当な権力行使はただちに表に出すべきと強く主張したが、当時の会長らは、政府に迎合的な路線を採用した。その判断が間違っていたことは今では明らかである。憲法や法律を顧みない政府は、政策の評価を云々する前に退場しなければならない。総選挙でまず問われるのは、この国の立憲主義の命運である。
(生活経済政策2021年11月号掲載)