点睛を欠いた画竜はどこへ
神津里季生【前連合会長】
目下の政治の混迷を招いた中道改革連合の立上げ失敗から半年近くが経過しようとしている。「中道」という概念そのものは時宜を得ているものだと筆者は思っているが、奇襲攻撃に対抗した政党立上げは短兵急に過ぎた。選挙結果が事前の皮算用とは大きく乖離した原因は様々あろうが、ここでは本質的な問題を指摘しておきたい。
それは、経済成長を目的化したかのような記述で始まる綱領や、食料品消費税ゼロを目立たせた政策等に端的にあらわれたポピュリズムへの迎合である。それらは本来の「中道」の概念を支えるものとは到底思えない。画竜点睛を欠いたのである。
もちろん、今回の選挙結果そのものはいわゆる「推し活」的高市人気やそれを支えたSNSの席捲、そして公明党・創価学会へのバイアス等の要素によるものが圧倒的に大きかったであろう。しかし、そういうことだけの分析で現状の政治状況を立て直そうと思っても堂々巡りにしかならないであろう。
今後、統一自治体選挙や参院選といった日程をにらみながら、中道、立憲民主、公明は本当に合流できるのかそれとも元に戻るのかということに関心が集中することであろう。しかしそのような外形的な事象に目を奪われることなく、真の理念・政策を見極めることこそが、目下の最重要事項ではなかろうか。
短兵急の政党合流といえば、2017年の希望の党騒ぎを思い起こした方も多かったと思う。まさにその渦中に置かれた立場で振り返るならば、あのときは「点睛」を備えた民進党(当時)のマニフェストがまるごとお蔵入りを余儀なくされたのである。それに比べれば今回は竜の姿は残されている。ただし世間には認識されていない。餅か何か画いていたんだろうとしか思われていない。近いうちに、外形的事象に判断を加えるであろうそのタイミングをとらえて、竜の姿を「点睛」とともに明確に打ち出すことがなくてはならない。
端的に言うならば、幻のマニフェストとなってしまったあのときの政策、就中、オールフォーオールの考え方を再出発の中心軸に据えることだ。そのことによってのみ、働く者・生活者にとっての持続性・発展可能性は担保されうるであろう。
(生活経済政策2026年6月号掲載)
