孤独のデモクラシー
宮本 太郎【中央大学法学部教授】
内閣府の調査では、単身高齢者の4人に1人が日常ほとんど誰とも口をきいていない。孤独・孤立は、当事者にとってもっとも辛いことで、健康へのダメージも大きいことが知られる。自治体にとっても、健康寿命延伸を妨げ、トクリュウ犯罪の格好のターゲットを生み、孤立死を怖れる家主は部屋を貸せなくなるなど、様々な分野で行政課題の推進を困難にする。にもかかわらず、自治体にとって孤独・孤立はたいへん手のつけにくい問題だ。
いかなる場につなげればよいかということもあるが、実はそれ以前のところに難しさがある。孤独になっている人、とくに男性高齢者は、事情を察知した福祉関係者などが訪れても、そのような働きかけ自体に強く反発することがしばしばだという。自分は孤独なのではなく、孤高なのだと誰しも思いたい。
ハンナ・アレントは『全体主義の起源』のなかで「孤高」(アインザムカイト)から「捨て置かれていること」(フェラッセンハイト)を区別した。捨て置かれている人は、日常を他者と共有できないゆえに、曖昧さに満ちた複雑な世界を受け入れることができない。なぜ現実が厳しいか、単純で「首尾一貫した説明」を求め、「次から次へと推論をおこないすべてを最も悪く考える」。こうして陰謀論クラブが出来上がる。
さらにそこにアレントの時代にはなかったSNSというツールが加わる。事態を過度に単純化して描きだし、「犯人」を特定し、その物語のなかに高度なアルゴリズムで囲い込む。孤独が生み出す心性との相性は抜群で、どのような結果にむすびつくかは火を見るより明らかだ。
その一方でアレントは、「首尾一貫した説明」を求める人間の悟性を評価もしている。ポピュリズムがいわれるが、複雑な税制や社会保険には関心も寄せず、業界団体や有力者からいわれるがままに投票していた人が、Youtuberの「解説」に耳を傾け、切り抜き動画で政治家の姿を追っているのだ。一面では民主主義の進展ではないか。この進展をいかにほんものにできるか。
ちなみに、孤独であることを認めず孤高を自認する筆頭は元教師らしい。「首尾一貫した説明」にとくにこだわってきた政治学教師の場合、老後はかなりアブなそうだ。
(生活経済政策2026年7月号掲載)
